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もう大学生でもないので「今日が学生最後」というのもおかしいし、今の立場が非常に微妙なのだけど、それも今日でおしまい。

明日から社会人になる。

決意表明って殆どの場合あまり意味がないと思うから、ここで言いたいことも特にないのだけど、自ら希望した世界に羽ばたけることはそれ自体感謝しなければならないことだと肝に銘じたい。



社会人・商社マンの大先輩である父親から「大学卒業にあたって」というタイトルのメールが来た。

メールの最後は、こんな風に締めくくられていた。



「思えば、貴君が中学校に入学してからこの方、ほとんど一緒に過ごす時間が
ありませんでした。この点は大変残念であり、また申し訳なく思っています。
一緒にいれば、さぞかしもっともっといろんなこと言っていたろうなとも思って
ます。

だけど、立派に成長してくれてありがとう(そして貴君をここまで育ててくれた
お母さんに深謝)!
これからは、社会に出て、社会に貢献だ! がんばれ良太!

大学卒業ほんとにおめでとう!

父より。」



僕が生まれる前から、ずっと中国で仕事をしていた父。

メールにある通り、僕はあまり父と一緒に過ごしてこなかった。

けれど、そのことで親に反抗したりとか、辛いと思ったことはなかった。
(それはそれでもしかしたら親心としては複雑だったりして笑)

それは、一緒に過ごした短くも濃密な時間の中で、大きく父親に影響されたからに違いない。

父親がどんな仕事をしているかなんて全く知らなかったし、興味もなかったのに、気付けば同じ道を歩もうとしているのだから。


そして、父がビジネスで格闘する最中、子育てに奮闘してくれた母親には言葉に出来ないくらい感謝している。

ここまで自分を支えてくれた人の存在。

それを思うだけで、自分を蔑ろにしてはいけないと思わされる。

辛くても耐えるのは、そういう人たちの期待や恩に報いろうというポジティブな気持ちであってもいいんじゃないかな。


やっぱり働いたこともないのに偉そうなことを言ってしまった。

反省。


決意表明ではなく、やはり感謝の気持ちで締めよう。

お父さん、お母さん、本当に今までありがとうございました。


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2011.03.31 Thu l そして普通日記 l コメント (0) トラックバック (0) l top


2011年3月23日、僕は一橋大学を卒業した。

この4年間は、今までの、そしてこれからの人生の中でも、とびきり充実した4年間だと思う。

僕の半生を大学受験時代から振り返ってみようと思う。




2005年当時、高校3年生のぼくは、ひたすら勉強ばかりしていたガリ勉くんだった。

ひたすら勉強の日々。

楽しみは、学校で友達と話すこと、体育の授業や地元の公園に集まってバスケをすること、テレビを見ること、飯を食うことくらいだった。

高校1年まで持っていたが、不要と判断して解約していた携帯電話は、高校3年の途中まで持っていなかった。

携帯も持たず、バスケに遅刻する僕はいつもみんなから早く携帯を持てと言われていた。

女の子と話した合計時間は、中高浪人時代の7年間合計でリアルに1分間くらいだと思う、共学なのに。むしろ驚愕。

服なんて大学に入るまでろくに買ったこともなかったし、高2の時にユニクロで服を買ってちょっとオシャレになったと思ってた。

本もほとんど読まなかったし、映画を能動的に見ようと思ったのはバック・トゥー・ザ・フューチャーくらいだった。


ひたすら勉強ばかりしていた。

そんな日々を嫌に感じたことはなかった。

今思えば僕の世界はとてつもなく狭く、勉強ばかりしているのもそれは当然のことだと思っていた。

そんな努力の甲斐もなく、一校に絞った一度目の大学受験は残念な結果に終わってしまう。

そして始まった浪人時代も高校時代と大して変わらなかった。

予備校の授業はつまらなく、よくサボって下北沢をぶらぶらしていたが、そのうち都心の予備校に通うのも面倒くさくなって地元の校舎に籍を移し、授業に出ても内職ばかりしていた。

無常の日々が過ぎ、2度目の大学受験がやってきた。

さすがにほとんどA判定だったので受かると思っていた東大にまさかの不合格。

その前に受かっていた慶應大学に行くことになるのかと思っていたが、願書を出していた一橋の後期試験を受けることにした。

実は、ここで一悶着あって、東大の前期試験が終わってから全く勉強していなかったので、過去問を見たことすらなかった一橋の後期に受かる自信はなく、受けるのをやめようとすら思っていた。

そのことで親とも喧嘩したのだが、それでも受けるだけ受けようと思って家を出た。

後期試験当日、初めて行った国立駅は思っていた以上に小さく、改札を出て少し歩いた大学通りは桜が満開だった。


あぁ、なんて素敵な街なんだろう。


これが国立の第一印象だった。

入試問題は個人的には簡単に思え、英語も数学もほとんど迷わず解答出来たし、小論文も上手く書けてまさに会心の出来。

それでも、そんなに簡単に合格出来ないだろうと思っていたので、慶應大学に行くつもりで入学金を振り込んだ。


2007年3月23日、ちょうど卒業する4年前、インターネットで見た合格者発表の掲示板に僕の番号は載っていた。

急いで母親と大学に行き、入学の手続きをした。

時刻も遅く後期試験と言うことで、掲示板はひっそりとそこにあったが、手続き会場までの道のりにはサークルや部活の勧誘をしてくる人たちがいて、一通りの祝福の声を受けた。

長かった受験生活を終え、僕は一橋大学の学生になった。


大学生活には、何も期待していなかった。

高校時代の友達は大学なんてつまらないというし、みんな部活やサークルには入っていないみたいだった。

かくいう僕も、大学生は勉強せずに、バイトをして、ダラダラ過ごすというイメージしかなかった。

勉強だけの僕に趣味はなかったし、女の子とも話せなかったから、部活やサークルの新勧イベントには一切行かなかった。

体重が90kg以上あったのでアメフトとプロレス研究会にはやたら誘われたが、痛いのは嫌だなと思って飲み会には行かなかった。


部活やサークルには入るまいと思っていた僕だったが、友達は欲しかったのでクラスの人とは仲良くしようと思っていた。

ところが、クラスの友達はみな部活やサークルを始め、週に2度、1時間半の授業だけで顔を合わせるクラ友よりも、毎日顔を合わせる新しいコミュニティにどっぷり浸かり始めた。

僕は少しだけ焦った。


一橋大学の新入生には3つの新歓イベントがある。

スポ大(スポーツ大会)、クラチャン(ボートレース)、KODA祭である。

スポ大もクラチャンも特に盛りあがることもなく終わり、5月の半ばからKODA祭の準備にとりかかった。

うちのクラスはタコス屋をやることになり、僕は言われるがまま、屋台の屋根を作る班に入れられた。

班のメンバーは各々部活やサークルで忙しそうだったが、暇な僕は準備の時間には毎回顔を出していた。

そこで同じ班の女の子と話すようになり、僕は恋に落ちた。


無趣味、無所属、女の子と話したこともなく、太っていた僕は、自分にコンプレックスしかなかった。

生まれて初めてとも言える初恋(初恋と言うのだから当たり前か)。

僕は自分を変えなければ、振り向いてもらえないだろうと思って必死だった。

まずは、体型を変えねば。

決意したその日から、毎日、1000kcal以下の食事、5kmのランニング、腕立て伏せと腹筋を100回、ヘルシア緑茶、というノルマを課した。

そんな生活を3ヶ月続けた頃には、体重は30kg減っていた。


映画を見るようになった。

気になる子と映画の話をして、全く話せなかったことが悔しかったからだ。

次に映画の話をする時は、「あ、それオレも見たことあるよ」と言って少しでも長く話をしたかった。

映画なんて全く興味がなかったから、何を見れば良いのかも分からず、ひたすらTSUTAYAで目に入った映画を借りては見た。

月に20作くらいは見ていた。

その子に告白する前に2人で映画を見に行ったのだが、その頃はもうちょっとした映画通を自称していた(笑)。


本も読むようになった。

僕は埼玉以外では名の知れていない私立高校出身、彼女は有名な女子高出身だった。

メールをする時に、変な文を書いて恥をかきたくなかった。

何でもいいからとにかく本を読み始めた。

彼女が、伊坂幸太郎が好きだと言えば、伊坂幸太郎の本を1日1冊ペースで10冊くらい読んだ。

自分は経済学部だし、経済について知らないとまずいと思って、親父の書斎からそれらしい本を借りては読んだ。

ここだけの話、僕が商社に行きたいと思ったのは、山崎豊子の「不毛地帯」を読んだのがきっかけだ。


ギターをはじめた。

高校の友達に遊びでバンドに誘われて、当時他にやることもなかったから快諾したのがきっかけだった。

それまでギターなんて興味なかったし、ベースなんて存在すら知らなかった。

とりあえず、地元の楽器屋に行って安いギターを買い、曲をコピーするために四苦八苦し、全く形にならないまま本番を迎え、めちゃくちゃな演奏をしたが、それなりに楽しかった。

彼女は高校時代に軽音を少しやっていたらしく、バンドの話が少し出来て嬉しかった。

せっかくギターも買ったし、これで辞めるのもなんだかなぁと思って、僕は大学のバンドサークルに入ることにした。

このサークルが、僕の大学生活の宝物になるわけだが。


夏休みは、ひたすら塾講師のバイトと、自動車免許をとるために教習所に通った。

デートするためには資金と車の免許が必要だろうと思っていたからだ。

そして相変わらず、走っていた。

この頃から、ファッション雑誌を買って読み始めた。

それまでろくに服なんて持っていなかったから、何とかしなければと思った。

週に2,3回、原宿に行くようになり、そのうち、古着がカッコイイと思うようになった。

痩せてきてからようやく店においてある服が着れるようになって面白くなってきていた。


そうこうしているうちに、夏休みも終わって冬学期が始まった。

自分で言うのもなんだが、この頃はもう大学入学時と別人になっていたと思う。

秋には一橋祭があり、僕は高校時代の友達と5人でホストの恰好をして焼肉を売った。

焼肉と言っても肉だけだと原価が高くてボリュームもないので、野菜を入れまくったらむしろ野菜炒めに少し肉が入っている料理になったが、構わず売った。

3日間売って利益は1人6000円くらいだったので、バイトをした方が割は良かったが、それは別としてとにかく楽しかった。


一橋祭が終わって、ようやくバンドサークルのイベントに出ることになった。

フォークソングクラブ(FSC、フォーソン)という、さだまさしでもやるのかなと思っていたサークルに入ったのだが、実際はアニソンからメタルまで色んなバンドをコピーするサークルだった。

きっかけはクラ友がいたからという単純な理由だった。

前述の通り、音楽に興味がなく、本当に好きだったのはミスチルと尾崎豊くらいだったので、みんな音楽に詳しくて正直焦った(当たり前だが笑)。

それよりも、ただ名字が「中山」というだけで、入部して15分くらいであだ名が「中出し君」になったことのほうが印象的だったが、途中から入ったうえに音楽も分からない僕を受け入れてもらえてとにかく嬉しかった。

バンド練は週に一度、2時間部室で音合わせ、その後アフターで飯を食いに行くという感じだった。

それまでサークルらしいことをした経験がなかったので、楽しかった。

大学の先輩とご飯を食べるということがもう新鮮で、毎週楽しみだった。

ライブ当日は、自分の演奏は無難に終わったという感じだったが、とにかく他の人たちの演奏がすごくて驚いた。

あ、バンドってこういうものなのか、とそこで初めてバンドというものを知った。

とても自分に出来る気はしなかったが、何だかんだ言ってみんなに「中出し君!中出し君!」と呼ばれて面白がられたので、なんか楽しくて、嬉しかった。

そういうこうしているうちに年が明けた。


年が明けてからはバイトを増やし、飲食店でも働き始めた。

相変わらず映画を見て、本を読み、サークルの人に薦められるがままに音楽を聴き、夜は走っていた。

春休みにサークルの合宿に行ったのが決定打だった。

今でも仲良くしてくれている、かみひがしさんと一気に仲良くなり、格ゲーを通してすぎもとさんと話すようになり、コンパで素っ裸になる人が続出するのを見て再認識した。このサークル終わっていると。


春休みの終わりに、好きだった子に告白した。

OKしてもらえたのだが、1ヶ月後に振られてしまった。

その時はショックだったが、立ち直りも早かった。

フォーソンが楽しくて仕方なかったからだ。

それに、彼女のおかげで僕はすごく成長できたと思った。

彼女がいなかったら、僕はいまだに太っていて、映画や本の面白さに気付くこともなく、バンドでギターをやることもなく、当然フォーソンのみんなとの光り輝くような日々を送ることもなく、女の子とも話せなかったかもしれない。

自分を変えるきっかけを作ってくれて、今でも感謝している。


大学1年は今の自分の基礎を固め大きく成長できたように思うが、大学2年は人生で一番楽しい一年だった。

素敵な人たちと素敵なバンドをたくさん組めた。

KODA祭のEvanescence、兼松ライブのJUDY AND MARY、一橋祭のYUI、Nickelback、冬定の矢井田瞳、しょこたん、卒コンの邦楽、春合宿のDeep PurpleとMichael Schenkerが印象的だった。

本当に素敵なメンバーと、時にクオリティの高い演奏も出来た(僕以外ね)。

素敵な先輩方に可愛がってもらい、可愛いくて初々しい一女と仲良くなった。

ほとんど勉強もせず、映画をたくさん見て、音楽をたくさん聴いて、バンドをたくさん組んで、アフターが楽しくて、誰かの家で飲みまくって朝家に帰って、もうとにかく毎日が輝いていた。


そうして二度目の恋に落ちた。

あまり詳しくは書けないけど(笑)、尊敬できる方と付き合えた。

色んなところに遊びに行ったけど、どれも新鮮だったし、一緒にいられるだけでとにかく幸せだった。

何度も夜行バスで6時間かけて名古屋に行ったのも良い思い出。

おかげで名古屋が好きになった(笑)、良い街だと思う。


結局、実質1年少しお付き合いして別れてしまった。

本当は色々書きたいことはあるのだけれど、色んな人が見ていると思うので、これ以上書きません(笑)

僕はとにかく幸せだったし、感謝しています。

僕の器の小ささで傷つけてしまったこともあったんだろうなぁと後悔していることもある。

それも含め、色んな思い出を心の中でずっと大切にしまっておきたいと思う。


ただただ楽しく光り輝いていた大学2年が終わり、大学3年は悩みや不安がつきまとう一年だった。

3年になると、ゼミが始まった。

2年まで真面目に勉強していなかった僕は、せめてゼミくらいは頑張ろうと思い、シビア(ゼミ活動が大変)と呼ばれる国際経済学の石川ゼミに入り、幹事を務めた。

伊藤元重先生の500ページあるテキストを3回のゼミで終わらせ、ポール・クルーグマンの分厚い洋書のテキストを毎週30ページくらいのペースで進めていった。

それが終わると、3人一組でグループ論文を執筆し、ゼミではパワポでプレゼンした。

色々大変だったし、論文のクオリティもそこまで高くなかったけど、ゼミだけは最後まで一貫して頑張れたと思う。


大学3年は就活も力を入れた。

僕は結構危機感を持っていたので動き出しは早く、3年の6月時点で慶應生対象のセミナーに行き、マッキンゼー、経済産業省、三菱商事の社員や内定者の話を聞いて、衝撃を受けた。

世の中にはこんな凄い人たちがたくさんいるのかと。

そこからはゼミと両立して、就活も意識した。

夏休みはベンチャー企業で3週間働き、メガバンクや生保の会社のインターンなんかに参加してグループワークをしまくった。

秋からはゼミのグループ論文を頑張る一方で、セミナーに足を運んで色んな話を聞き、社会の仕組みが少しずつ見えてくるような気がした。


フォーソンは相変わらず楽しかったけど、将来への不安が一抹あって、大学2年の時みたいに手放しで楽しめなかった。

それでも夏休みにみんなで海に行ったり、合宿に行ったり、コンパに出たり、かの君の家で宅飲みしてる時は手放しで楽しかった(笑)

そうして年が明けて、2010年になった。


年が明けてからは、就活一筋。

OB訪問をして、説明会に行って、リクルーターに会って、面接を受けて。

大学3年の夏くらいから、自分はどういう人間なのかを考えて、それを上手くアウトプットする方法を模索していた。

面接は、その成果を出す場所だった。

ハードスケジュールを駆け抜けて、4月に3社から内定をいただき、希望していた商社への就職を決意した。

ゼミやサークルの仲間、先輩をはじめ、多くの人にお世話になった。

内定への不安が解消され気付けば最高学年になっていた。


大学4年は、とにかく思い残すことないように活動した。

4月は、ゼミのソフトボール大会で全体3位。

5月は、ゴールデンウィークに岐阜出身のゼミテンの実家にドライブして行き、長良川でラフティングをした。

6月は、ワールドカップを後輩の家でプライベートビューイングしたり、親父のいる中国に1週間ほど滞在したり。

8月は、鈍行で西日本まで行き、京都、高松、広島、岡山、静岡を5日間周遊し、その後、1ヶ月間イギリスに短期留学した。

9月は、イギリスから帰ってきてすぐにゼミの合宿で卒論のプレゼン。

10月から1月は、毎日大学の講義とベンチャー企業での営業、一橋祭、冬定でバンドを組み、卒論、韓国でインゼミ、英会話学校、中国語学校、内定者研修、TOEICや簿記などの資格試験、とハードスケジュールな日々だった。

それでも、可能な限り飲んで遊んだ。

一橋祭で久しぶりにバンドを組んで、自分が最高学年であることに戸惑いつつも、気付けばめちゃくちゃ楽しくて、あ、やっぱりフォーソンは自分にとって宝物だなと再認識。

一緒にバンド組んだ一年生とは仲良くなれて本当に良かった。

2月から3月は、1月までの生活に加えて北海道旅行、マレーシア旅行、バリ旅行と旅行続き。

春合宿と伊豆旅行が中止になってしまったのは残念だった。




大学4年間を振り返れば、勉強は疎かになってしまい、それが悔やまれるけど、勉強しかしてこなかった大学入学前の僕には想像出来ないくらいたくさんのものを得た。

自分を変えようと必死になった。

素敵な映画をたくさん見た。

本を読んでいる時間が至福になった。

たくさん走った。

思い出に残る音楽をたくさん聴いた。

一生付き合っていきたい先輩や仲間と出会えた。

お腹が痛くなるほど笑えた飲みを数えきれないくらい繰り返した。

キラキラした大学4年間だった。

ここでは簡単にしか振り返れなかったけど、ここには書ききれないくらいたくさんの素敵な思い出ができた。



こんなに恵まれ過ぎた環境に囲まれ、これから社会人になってどうなるんだろうと心配だけれど、大学入学前の自分が今の自分になれたように、まだまだ未熟な今の自分も会社に入り社会に出て成長していきたいと思う。


本当に、本当にありがとう。


僕は幸せすぎました。



そして、さようなら、大学生の自分。



もう、僕は大学生じゃないんだ。



これからは、誠意と責任を持って、社会に貢献していこう。



そんな僕を、これからもどうぞよろしく。



2011.03.23 Wed l そして普通日記 l コメント (8) トラックバック (0) l top


逆命利君

逆命利君 / 佐高信


元住友商事常務、鈴木朗夫さん(通称・自称、ムッシュウ)の話。

まさに商社マンと聞いて想像する派手なイメージの具現であり、誰よりも仕事が出来ながら、誰よりも仕事以外のことを大切にした方。

「命に逆らっても君を利す、之を忠と謂う」

上からの命令に逆らってでも、会社の利益の為になることを実践することこそ忠誠であるという諺。

住友商事という会社の魅力に触れられます。

2011.03.22 Tue l 書評 l コメント (0) トラックバック (0) l top


それどころではないかと思いますが、近況報告を。


1.卒業確定

卒業式が中止になってしまったのは残念ですが。

3年で卒業要件に必要な単位は満たしていたのですがやっぱり確定するまでは不安で…。
万が一卒業できなかった時は、大学院に行って国一か公認会計士を目指そうとも考えましたが、場当たり的でどこか甘い考えのような気もしますね。

冬学期に履修していた経営組織論と財務会計論はどちらもBでした(笑)
一橋祭以降忙しくてなかなか授業に出れなかったので、Cじゃなかっただけ良かったかなと。
ただ、どちらも素晴らしく良い授業でした。この成績じゃ説得力ないか(汗)


2.簿記

2級、3級、どちらも合格してました。

思っていたよりギリギリだったので浮かれてはいられませんが、割とタイトなスケジュールで合格できたのでそれなりに頑張ったかなと。

これで、IC3、簿記、TOEIC、と内定者研修の基準はクリアできて良かった。
でもTOEICはやっぱり850は取りたかったな。
900くらい取れるまで受け続けようか、、、いな、無意味かな。


3.飲み

春合宿、伊豆旅行の予定がなくなり、スケジュール帳が真っ白になりました。
今は毎日、走って、本読んで、飲んでます。

バリから帰国した翌日はゼミの追いコン。
3日前はわっきーの家、昨日はかなえちゃんちでそれぞれオール。

ゼミの追いコンは、国立の「さかえや」という居酒屋で飲んだ。
ここが安くてウマい。あんなにたらふく飲み食いして2500円てマジすか。
芸能人のサインも結構あって、何気に隠れ店では。
卒業前に行けて良かった。

わっきーの家では豪快にコーヒーをぶちまけ大惨事に。
ごめん、わっきー、ゆーさく。
インディアンポーカーでアホみたいに飲んだ。
4男4人で飲んだけど、オレはめっちゃ楽しかった!
何をあんなに飲んでたんだろう(笑)

かなえちゃんちでは、アホみたいにフルーチェを食べた。

フルーチェ2

オレオの万能ぶりはんぱない。

フルーチェ

オムハヤシうまし!
いくらウマいと言ってもリアクションが怪しいと言われる。


学生生活ももうあと僅か、こんな楽しい時間ももうなくなってしまうんだな。


4.入社準備

21日から入寮できるのですが、29日くらいに移ろうかと。
まぁ、その前から何度か足を運んで必要な物資を揃えねば。

あと、スーツ(リクスーのみ)、シャツ(サイズが合わん)、ネクタイ(親父のしかない)、時計(持ってない)、財布(壊れた)、かばん(ポーターのみ)、靴(大学入学時購入)辺りは揃えなければ。
本当によくこれで就活を乗り切ってたなぁ。
物への執着が人一倍ないと自負しているのですが、入社前くらいビシッとしたい。
社会人のファッションとか全然わからないので、どなたかご教授を!
2011.03.20 Sun l そして普通日記 l コメント (0) トラックバック (0) l top


3月7日~12日で、フォーソンの卒業旅行にバリに行ってきました!
因みに7日は、成田空港近くのホテルで一泊。

3月8日、成田からジャカルタへ、それからバリへ。


バリ1

ジャカルタの空港で食ったMee。
美味し。だけど、バリでは無かった、この食べ物(笑)


バリ2

ここがホテル。


バリ3

旅行中は、朝から水代わりにビール飲んでた。
なんてバカンスなんだ!


バリ4

大蛇。


バリ5

タナ・ロット遺跡。
よくあれだけ波に打たれて浸食されないなぁ。


バリ6

変なひとたち。


バリ7

意外においしくない笑


バリ8

ミーゴレンとナシゴレンは結構食った。
それにしてもウマかった。


バリ9

第1回 チキチキ どすこい選手権

フォーソン VS サル軍団

忘れられない戦いだったな。


バリ10

こいつら女性のサンダルとか盗んでかじってました。
悪い奴らです。


バリ11

ケチャ。

チャッチャ!!


バリ12

これ、こわw


バリ13

海老チリがはんぱなくウマかった。


バリ14

人生初スキューバは、耳抜きを忘れてとにかく耳が痛かった。

第1回 チキチキ ビーチバレー選手権

フォーソン VS バリ人

とてもバレーになっていなかった笑


バリ15

ここで腹一杯パスタを食った。



このほかにも、夜は毎日、バーに行って飲んでました。

ゲイバーとかもう嫌な思い出。

飯もマレーシアよりウマかったし、やっぱり同じ東南アジアでも全然違うんだなーと思った。
僕はバリの方が好きですねー、まぁ、リゾート地だし、当たり前かもしれないけど。

現地のタクシードライバーと英語で話すのもちょっと楽しかった。
大体、みんな、「お前は彼女いるのか?」と聞いてきたけど、日本の古典作品のテーマに恋愛が多いのと同様、それだけ平和なところなんだろうなーと思った(違っ

思い返すと、めっちゃ楽しかったなー

春合宿も行きたかったー!!
2011.03.20 Sun l 旅行 l コメント (0) トラックバック (0) l top


ざっくり分かるファイナンス 経営センスを磨くための財務

ざっくり分かるファイナンス 経営センスを磨くための財務 / 石野雄一


某経営コンサルの内定者は必読の本のようですが、実際、ファイナンスの入門書として良書だと思います。

僕は簿記の勉強を兼ねて読んでいたのですが、冬学期にとった財務会計論と内容が大分被っているので、そちらの試験対策として読んだ方が効率的だったかなと思います。


<第1章 会計とファイナンスはどう違う?>

1.会計(アカウンティング)は「利益」を扱い、財務(ファイナンス)は「キャッシュ」を扱う。
※利益=売上-費用

2.会計が扱うのは、あくまでも企業の「過去」、ファイナンスが扱うは、企業が将来生み出すキャッシュフロー。

○資金調達の方法…基本的には、「有利子負債(デット)による調達」と「株主資本(エクイティ)による調達」とがある。
 ・有利子負債…「銀行借り入れ」と「社債」の大きく二つに分けられる
 ・「銀行借り入れ」は間接金融、「社債」と「株主資本」は直接金融


<第2章 ファイナンス、基本のキ>

○要するにファイナンスとは、投資に関する意思決定(投資の決定)と、その投資に必要な資金調達に関する意思決定(資金の調達)と、そして運用して得たお金をどう配分するかという意思決定(配当政策)の三つの意思決定に関わること。

○これら三つの意思決定の目的は、「企業価値の最大化」である。

○「リスク」とは「危機」のことであり、「危機」とは、危険、つまりデンジャーと、機会、つまりオポチュニティというものを両方表している。

○「リターン」とは「利回り」のことであり、投資した元本に対して一年当たりどれだけの収入が得られるかという割合を表すもの。
 ⇒利回り(リターン)=収入(キャッシュイン)/投下資本

○負債コストと株主資本コスト
 ⇒負債コスト…銀行等の債権者に対して支払う利息など、債権者が要求するリターンのこと
 ⇒株主資本コスト…株主が要求するリターンのこと
 ⇒負債コストと株主資本コストでは、株主資本コストの方が負担が大きい。
  (∵投資家は社債よりもリスクの大きい株式に大きなリターンを求める)

○CAPM…株主資本コストの求める時に使われる理論
 ⇒株主資本コスト=リスクフリーレート(2%)+β×マーケットリスク・プレミアム(5%)
※リスクフリーレート…国債に投資した場合に投資家が期待する収益率
※β…株式市場全体の変動に対して、その会社の株式がどれだけ連動するかというものを表した数字
   (株式市場とまったく同じ値動きをする株式のβを1と考える)
※マーケット・リスクプレミアム…株式市場全体のリターンとリスクフリーレートの差を示すもの

○株主が求める見返り…1.配当(インカムゲイン)、2.株価の上昇益(キャピタルゲイン)

○資本コストは、負債コストと株主資本コストを加重平均して求める=加重平均資本コスト(WACC)
※WACC=D/(D+E)×(1-Tc)×負債コスト+E/(D+E)×株主資本コスト

○経営者はWACCを上回るリターンを出さなければならない。

○WACCは低いに越したことはない、そのためには、適切な企業情報を適切なタイミングでディスクローズ(公開)することが大切=IR

○投下資本利益率(ROIC)=税引後営業利益/投下資本

○経営者の目的は、WACC以上のROICを上げるということに尽きる。
 ⇒ROIC-WACC=EVAスプレッド
 ⇒EVA=投下資本×EVAスプレッド


<第3章 明日の1万円より今日の1万円~お金の時間価値>

○「将来価値(フューチャーバリュー=FV:Future Value)」とは、いまのお金を複利で運用した場合に、将来どれくらいの価値になるのかということ。
※FV=CF×(1+r)^n、CF:元本、r:利率、n:年数

○「現在価値(プレゼントバリュー=PV:Present Value)」とは、将来のお金を現在の価値に表したもの。
※PV=CF/(1+r)^n


<第4章 会社の値段>

○企業価値は、「誰のものか?」、「どう計算するか?」
 「どう計算するか?」⇒「事業価値」+「非事業価値」
 「誰のものか?」⇒「債権者価値」+「株主価値」


<第5章 投資の判断基準>

○投資判断の決定プロセス
 1.そのプロジェクトから生み出されるキャッシュフローを計算する
 2.予測したキャッシュフローの現在価値を計算する
 3.投資判断指標の計算を行う
 4.その計算結果と採択基準とを比較、基準を満たしていれば投資を行い、基準を満たしていなければ投資を見送る

○NPV法(Net Present Value=正味現在価値)…あるプロジェクトが将来生み出すキャッシュフローの現在価値と、そのプロジェクトに必要な投資額の現在価値を比べて、前者の方が大きい場合は「投資してもOK」となる


<第6章 お金の借り方・返し方>

○レバレッジ効果…自己資本(株主資本)だけでは動かなかったプロジェクトが、有利子負債を増やすことによって動かせるように、より大きなリターンを得られるようになる。但し、失敗した時の損失額も大きくなる。

2011.03.14 Mon l 書評 l コメント (0) トラックバック (0) l top


男子の本懐

男子の本懐 / 城山三郎


第27代内閣総理大臣、浜口雄幸と元日銀総裁、浜口内閣の蔵相、井上準之助の半生を描いた作品。

性格も生きてきた道もそれぞれ違う二人が、互いに惹かれあい、「金解禁」を断行するまでを描いています。

金解禁とは、金輸出解禁策、つまり、第一次世界大戦によって各国が禁止した金の輸出を解禁し、金本位体制に戻そうとする経済政策である。

金解禁は、当時の最重要経済政策とされていたが、どの内閣も政策に着手しようとしなかった。

それというのも、解禁に踏み切るにはそれに先だって金準備を増やし、強力な緊縮財政により、国内物価を引き下げなければならなかったからである。

この難題に立ち向かったのが、浜口雄幸首相と井上準之助蔵相である。

まず、彼らは徹底した緊縮財政の為に各省庁の予算を削り、高級官僚の年俸を減らした。

この政策はあらゆる方面から反対を受けた。

事実、彼らを襲撃して死に至らしめた犯人は右派で、軍事費の大幅削減等が起因したのではないかと考えられる。

しかし、東京駅で射撃されても、浜口は「ここで死んでも男子の本懐である」と述べた。

日本経済のために、自らを犠牲にしても信念を貫く。

最終的に金解禁は実現するが、次の犬養内閣で再び金の輸出が禁止され、事実上、金解禁は頓挫する。

これによって、ドルの買い占めをしていた銀行が大幅な利益を上げ、国民世論における大手銀行を抱えた財閥への非難と軍部の対外進出路線への支持に転化する一因となった。

つまり、彼らの死後、軍部の圧力と横暴により政党が実権を失い、転落の一途を辿ることになった。

彼らの存在が近代日本に大きな影響を与えたことが窺い知れる。

城山作品の主人公に共通する、私利私欲がなく、国益の為に命を捧げる人物たちである。
2011.03.14 Mon l 書評 l コメント (0) トラックバック (0) l top


簿記試験の翌日から、ゼミの卒業旅行でマレーシアに行って参りました!

マレーシアは、マレー系、イスラム系、中国系、をはじめとする多民族国家で、言語もマレー語、英語、中国語がほぼ公用語のように使われていました。

店員やタクシーの運転手と、ほんの少しだけだけど英語で話すのが地味に楽しかった。

新興国の典型ですが、中心地はめちゃくちゃ栄えているのに、一歩外に出ると目を覆いたくなる光景と鼻を突く刺激臭。

日本やアメリカも格差社会が叫ばれていますが、その比ではないと思います。

ただ、実感としては、イスラム系の雰囲気なのか、マレーシアの人々は礼儀が正しく親切な人が多かったと思います。

もっとも、営業スマイルだったのかもしれませんが。



2/28(月)、この日は9:30に家を出て、11:30に成田空港着、13:30発の飛行機で、20:30に現地の空港着、21:30にホテルに着いて、近くの屋台で飯。翌日に備えて就寝。

3/1(火)、この日は車で2時間かけてマラッカへ。

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東アジア最古のオランダ建築…確か。


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キリスト教会。元々、東南アジアに来た当時のヨーロッパ人の目的は、香辛料などの輸入とキリスト教の普及でしたよね、確か。


その後、2時間かけてホテルに戻り、今度はクアラルンプールの中心地、ブキッ・ビッタンへ。

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ここは栄えてましたね・・・。


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この屋台の飯が、マレーシアで一番ウマかった。これはガチで旨し!


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KLタワー。展望台が500Mくらいの高さで、夜に登ったんですが抜群に景色が良かった。

その後、タワーの麓でビールを飲んだのだが、これがまた抜群にウマかった。


3/2(水)、この日は、ポート・ディクソンという海へ。タクシーで1時間程。

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もはやプライベートビーチ。

我々以外誰もいないという!

1日中、ずーっと泳いでました。

最後にバナナボートに乗って、高速ボートから4度転落(笑)

マジ楽しかった!


この日は、足裏マッサージもやってもらって、もう言うことなしの一日。

その代り、人生で一番黒くなりました。


3/3(木)、この日はナショナル・モスクを観光して、セントラルマーケットで買い物。ツインタワーには昇れず、ホテル近くのレストランで最後の晩餐。

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モスク、めっちゃ綺麗。


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セントラルマーケット。値切りまくったのだが、特に石鹸屋さんのお姉さんとの交渉がハイライト。


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ドクターフィッシュ!15分で日本円にして130円(笑)

マジくすぐったくて、何とも言えない感触。


3/4(金)、8:00ホテル発、帰りのバスが故障して急遽タクシーに。

ドライバーが「Who pays?」と聞いてきた時は、ガチで不安になったが無事空港に着き、ガイドのおじさんが払ってくれた模様。

11:30発の飛行機に乗って、18:30に日本着。


そして、携帯をマレーシアに忘れてきたことに気付く。


ということで、アドレス帳とワッキーの面白映像がなくなりました。

ぼくのアドレスは変わらないので、フルネームと携帯番号を添えて是非、メール下さい!!

よろしくお願いします。


まぁ、ゼミの卒業旅行は大体こんな感じでした。

結構充実していたと思います。

朝食のバイキングもウマかったし、23にして夜はUNOで盛り上がったのも良い思い出。


3/5(土)、auショップでついにスマートフォンへの移行を決意!あとはひたすら惰眠を貪る。


3/6(日)、今日はドライブしてきましたー!

田町⇒浅草⇒スカイツリー⇒山下公園

多分、総移動距離150kmほど。


山下公園3

氷川丸。戦前使われていた日本郵船の船。

中を見学出来るのですが、これがめちゃくちゃ良かった!

実際、日本郵船に行きたくなった(笑)


山下公園2

第一等社交室。他に操舵室、船長室、第一等旅客室、などなど。

船からの眺めも綺麗。天気も良かったし!


山下公園1

赤レンガ倉庫。

大学1年の時に、高校の友達と5人でドライブに来たのを思い出すなー。


夜の首都高ドライブには、土岐麻子、東京事変、moumoonが合いますね(´ー`)


ということで、怒涛のモラトリアム期間・中盤戦の前半戦でした(笑)

明日から中盤戦の後半戦で、フォーソンの同期とバリに行ってきます!
2011.03.06 Sun l 旅行 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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